顔に目立つ内出血のある子どもに会いました。

どこかにぶつけたのかな、子どもに怪我はつきものだしなと考えながら、あたりに見当たらないその子の保護者を探しました。

 

母親らしき女性を見つけましたが、こちらを見ずに子どもの存在を気にすることなく過ごしています。

 

子どもの安全が気になったので、何か危険が迫った場合に出来る範囲で対処できる様にその子の近くに寄って様子を見守ることにしました。

 

一人遊びしていたその子は私に気がついて、とても威圧的な言葉を幼いながらすごむような声で投げかけてきました。

 

「どうしたの?」

そう訪ねたら、「パパの真似!」と言って同じ言葉を繰り返します。

 

「そうか、パパの真似なんだね!」

(パパにいつもいわれてるのかな)

 

「パパの真似!」

 

「このお怪我はどうしたの?いたい?」

 

 

その子はもじもじするばかりで何も答えませんでした。

 

「お怪我、はやく治るといいね!」

「いつでも遊びにおいでよ、待ってるからね。」

 

そこでようやく母親らしき女性が来て、「すみません」と一言発して帰られました。

 

ことばを話せる子でした。

会話の成立する程度の年齢の子どもでした。

だけど怪我の理由は教えてくれませんでした。

 

目黒区の5歳の女の子が虐待の末に亡くなったというニュースが記憶にあたらしい日の出来事でした。

 

かんたんに虐待なんて言うつもりはないけど、この時感じた不安に私には何ができたんだろう。

 

社会の目が届きにくい。

介入しづらい。

今の制度では、圧倒的に就園、就学前の子どもの姿が見えづらく手が届きにくい仕組みであると感じます。

 

どうにかこうにか、自分の中に沸いた不安を消そうとしました。

でもガリガリに痩せていたわけじゃないし…

それに見える範囲には他の怪我はなさそうだったし…

 

でもそもそも私の不安を消すとか消さないとかの話じゃない、感じた違和感への言い訳考えても仕方ない。

見て見ぬふりや、小さな違和感の打ち消しが連鎖するから何も変わらなくて、虐待に苦しむ子ども保護者も減らない。

 

虐待を疑ってから動くシステムもうやめませんか。

通報があったから児童相談所とかそれじゃ遅くありませんか。

通報に至る前に、何かできることがあるんじゃないかと思わずにはいられません。

 

追い詰められてしまう子どもも保育者も減るように、子どもを社会全体で育てられる制度や環境を作らないと、問題は解決しない。

 

未就園児・未就学児が人の目に触れにくい子育て環境に置かれることが多数だと思います。

家庭での養育状況が表面化せず、子ども・保育者共にケアの必要性が認識されないケースも多いのではないかと思わずにはいられないのです。

たくさんの人の手にふれて、社会のなかで子どもが育つこと

 

たったひとり、ふたりの保育者に依存しないと、自分の命を維持していけないってものすごく恐ろしくないでしょうか。

 

「ごめんなさい」とつづった女の子は、生きるためには保育者の存在が必要なことを身をもって理解していたのだと思います。

 

それと共に、他に命をつないでくれる大人を知らなかった。

 

子どもの居場所を家庭だけにしてはいけない。

子どもにも社会を。

つながりを。

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